22話「愛しながら他人」脚本:大原清秀
<出演>
水穂薫:南野陽子
久保恵美子:佐倉しおり
結城司:松村雄基
磯崎高志:石橋保
津川敬子:相楽ハル子
大下直樹:宅麻伸
長谷川千草:藤代美奈子
長谷川欣吾:高橋昌也
久保小夜子:梶芽衣子
久保哲也:若林豪
<ストーリー> 水穂薫(南野陽子)が、結城司(松村雄基)の工房に通うようになって、 もう2ヶ月が経過していた。 薫は、依然「口の利けないおばさん」を装って司を手伝う毎日を送っていた。 愛する人が目の前に居ながら、一言も口を利けない。 その苦しみは、薫の神経を擦り減らしていた。 それでも薫は耐えた。 愛する司のために。 そんなある晩のことだった。 作業を終えて帰宅した薫の元に、かつての担任教師・大下直樹(宅麻伸)が訪ねて来た。 薫は少し前に退学届を出して高校は中退している。 一体何の用だろう? 薫が訝しんでいると、大下教師は思い詰めた表情で躙り寄って来た。 「俺は、今夜君を抱く。 教師に有るまじき振る舞いだと言いたいんだろう? だが、俺は君が結城の為にボロボロになるのを見ておれんのだ。 あの男を忘れさせるために、俺は体面など捨てる。 それ程、君を愛しているんだ。水穂、好きだ」 大下教師は、薫に抱き着くと強引にキスしようと唇を寄せた。 薫は強く抵抗した。 気が付くと、大下教師の唇に噛み付いていた。 「私が愛するのは、司さん1人です。 無茶をすると、私舌を噛んで死にます!」 本気だった。 薫の目からは、涙が流れていた。 女が、死んでも護り抜く一線。 その覚悟を見せた涙であった。 それを見て、漸く大下教師も熱を覚ました。 「水穂、もういい。ヤメだ、ヤメだ。 俺はな、ここへ来るのに一つの覚悟をして来た。 君を俺のものにしよう。 それが出来なければ、潔く今日限り君を諦めようと。 残念だが、俺の負けだ」 大下教師は、サバサバした様子で引き返していった。 薫を巡る恋が、また1つ終わりを告げた瞬間であった。
少し前、薫の親友・久保恵美子(佐倉しおり)もまた高校を中退していた。 恋人・磯崎高志(石橋保)との同棲が、校規に触れると問題視されたのだ。 恵美子は、迷わず退学を決断した。 高志との愛を貫く。 それが、恵美子の選んだ道であった。 アパートでの慎ましい生活は、決して楽ではなかった。 それでも、恵美子は幸せであった。 愛する人と一緒に居られることが、何よりの喜びなのだ。 そんなある朝のことだった。 恵美子のアパートの電話が鳴った。 受話器を取った恵美子の耳に、母・久保小夜子(梶芽衣子)の緊迫した声が飛び込んで来た。 「恵美子、驚かないで聞いて。パパが倒れたわ。 たった今、出勤なさろうとしたら急に。恵美子、すぐに福島に来て」 父の急を聞いた恵美子は、高志と相談してすぐにアパートを飛び出した。 父は、このところ災難続きだ。 大事でなければいいが。
『この時、恵美子はそれが高志との別れになろうとは予測だに出来なかった』
恵美子の父・久保哲也(若林豪)は、病院に搬送されて小康を取り戻していた。 恵美子が病室に駆け付けると、久保は気丈に微笑んで見せた。 「大丈夫だ。ここのところ仕事が立て込んだもんで、少し眩暈がしただけだ。 明日は会社に出る。 心配は要らないから、東京へ帰りなさい」
一旦病室の外に出た恵美子は、母・小夜子から詳しい病状を聞いてみた。 小夜子によると、久保はこのところ2人の娘に翻弄された挙句に仕事でも左遷されて、 酷く心労が重なっているのだという。 それを聞くと、恵美子も強く胸が傷んだ。 父をこんな目に遭わせたのは、全部自分のせいなのだ。 責任を感じる恵美子に、小夜子から耳の痛い言葉が続いた。 「恵美子、あなたに来て貰ったのはパパの心配の原因を無くして欲しいからなの」 「ママ、まさか」 「高志さんと別れて欲しいの。そうすれば、パパの病気は回復するわ」 「嫌よ、そんな」 「恵美子、お願い。そうして。 このままでは、パパは衰弱する一方で命も長くは保証できないって先生はそう仰ってるの。 それでもいいの? パパの体と、高志さんとどっちが大事なの?恵美子」 深刻に訴える小夜子を前に、恵美子は静かに答えた。 「私、高志さんとは別れないわ。 でも、パパの側に居て看病します」 今は、それしか言えなかった。
一方、陶芸に生きると決意した司の前にも巨大な壁が立ちはだかっていた。 司の目標は、来る全日本陶芸展に自作を出品することであった。 その作品創りのために、司は朝から晩まで作業に追われていた。 しかし、作業は難航していた。 挑戦しているのは、色鍋島の大皿だ。 成形が実に難しい。 少しでも手元が狂うと、粘土の重みで皿の淵が下がってしまう。 盲目の司には、至難の業であった。 それに加えて、皿に施す花の模様作りとなると最早困難と呼べるものではなかった。 下絵すら碌に書けない司にとって、それは雲を手で掴むが如き不可能への挑戦なのだ。 何度やり直しても、花の形にすらならない。 司は焦っていた。 やはり、無理なのか。 明けない夜明けの中で、司は途方に暮れていた。 絶望という名の重圧と戦っていた。 そして、それを補佐する薫もまた巨大な重圧と戦っていた。
工房には、司の元妻・津川敬子(相楽ハル子)が時々顔を見せた。 子供に会うため。 それが、表向きの理由だった。 しかし、本当の理由は別にあった。 司とは別れても、敬子の心には薫への憎しみが残っていた。 目の見える敬子は、当然ながら「おばさん」の正体が薫だと知っている。 いつか司に正体をバラしてやる。 それをチラつかせて、薫を苦しめるのが目的だった。 薫は、敬子に土下座して頼み込んでいた。 司の作品が完成するまで、もう少しだけ黙っていて欲しい。 誰かが手伝わないと、司は大仕事をやり遂げることが出来ない。 「あなたも司さんを好きなんでしょ?」 薫の訴えを受けて、敬子は今は思い留まっている状態だ。 それも、何時まで持つか分からない。 薫は、常にそんな不安と戦っているのだ。
ここのところ、薫はすっかり体調を崩していた。 頭痛と発熱が続き、何をするにも手元が覚束無い。 それでも、薫は歯を食いしばってそれを隠し抜いた。 司には、絶対に正体を気取られてはならない。 自分の気配を殺し、それでいて司の作業を手伝い、赤ん坊の世話にまで気を配る。 精神力だけが、薫の体を突き動かしていた。 そんなある日、薫は司の不在を見計らって点字タイプを打ち始めた。 司への手紙を綴るためだった。 薫の見たところ、司はもはや限界であった。 徒労だけが続く毎日の作業に加えて、 薫の面影とも決別できない苦悩が、司の心をボロボロに蝕んでいた。 司を力付けてあげたい。 その一心で、薫は手紙を打った。 遠く離れた地に居る自分を装って、司への愛をこめて。 『司さん、暫くです。あなたとお別れして2ヶ月になります。 あなたは、今どうしていますか?……』
打ち終わると、薫は近くの郵便局に出しに行った。 投函しようとポストに手紙を差し出したところで、 突然誰かが薫の手から手紙を引っ手繰ってしまった。 司の元妻・敬子であった。 「考えたわね。自分の正体がバレないようにして、しかも司を励まそうなんて」 薫は、取り返そうと敬子に掴み掛かろうとしてその場に膝を付いた。 もう、立っているのも辛い。 様子がおかしいことに気付いた敬子は、歩み寄って薫の額に手を当てた。 「薫、あんた酷い熱じゃないの。 よくこんな体で動けてたわね。 あたしが言うのは何だけどさ、あんたこんなにまでして司に尽くしたって何もならないのよ。 いい加減に諦めたら?」 薫は、気丈に立ち上がった。 「いいの。私は見返りなんて望んでないわ」 その瞬間、薫は俄雨が降って来たのに気付いた。 いけない、帰らないと。 司は今皿を乾燥しているところだ。 雨に濡らしたら台無しになる。 薫は、ヨレヨレになりながら司の工房へ走った。
雨の降る中、司は何故か皿を前に放心状態であった。 薫が雨が降っていると伝えても、司は何もしようとしない。 全く打開できない皿作りに絶望し、すっかりやる気を失くしているのだ。 仕方なく、薫は1人で皿の上にビニールシートを掛けていった。 全ての皿に掛け終えると、薫はガクリと倒れ込んだ。 体に力が入らない。 司も漸く薫の異変を察知した。 「おばさん、どうしたんですか?何処か具合が悪いんですか?」 司が歩み寄ってくると、薫は最後の力を振り絞って部屋の中へ駆け込んだ。 そして、戸を閉鎖して司の侵入を阻止した。 触られたら、今度こそ気付かれてしまう。 戸の向うから、司の呼掛けが聞こえて来た。 「おばさん、どうしたんです?開けて下さい。何故開けてくれないんです? 女の部屋に入っちゃいけないって言うんですか? でも、おばさん病気なんじゃ? 医者を呼びます。駄目だって言うんですか? じゃ、大丈夫なんですね?分かりました。でも、暫く横になって休んで下さい」 薫は手拍子で何とか返事をした後、言われたように横になった。 この状況でも、咳1つ立てられない。 薫はタオルを口に当てて、懸命に息を殺し続けた。
その晩、薫は夜泣きの声で目を覚ました。 司があやしているようだが、赤ん坊は中々泣き止まない。
『薫は何とか司を励ましたかった。 だが、声も発せず励ましの手紙も敬子に奪われた今、そんな方法は何一つ無かった』
薫は身を起こすと、ハーモニカを手に取った。 そして、司が好きだった「鈴懸の径」を吹いた。 司が高校時代を思い出すと言っていた曲だ。 息苦しい中で、一生懸命吹いた。 司、頑張るのよ。 苦しくても、投げ出しちゃ駄目。やり遂げるのよ。 あなたなら、きっと出来るから。 そんな思いを込めながら、薫は「鈴懸の径」を吹き続けた。
『司は蘇った。 その司を見て、薫の熱は嘘のように下がっていった。 薫の心は、司の心と1つであった』
それからも司の苦闘は続いた。 盲目の司が大皿に絵を入れるには、超人的集中力を要求された。 気の遠くなるような失敗を重ね、それでも司は願いを込め続けた。 「鈴懸の径」に励まされた、あの夜のことを思い返しながら。 漸く窯焚きに漕ぎ着けた晩、 司は隣に座る薫に語り掛けた。 「おばさん、俺は昔女の子と2人切りで1つ部屋で過ごしたことがあります。 丁度、こんな風にコーヒーを啜りながら。 その子の名は、薫と言いました。 詰らないことを話してしまって…… でも、いい作品が出来たらおばさんのお陰です。本当ですよ」
『この時、薫は司を愛しつつも別離の日が近付いて来る足音を聞いていた。 薫は、司の作品が立派に出来上がればここを出て行くという敬子との約束を忘れてはいなかったのである』
『数日後、司は完成した作品を携えて長谷川の家を訪れた。 破門されたとは言え、司が真に批評を請いたい人は長谷川以外になかったからである』
司の皿を目にした長谷川から出た言葉は、 余りにも非情なものであった。
「見事だ。一見な」 「一見……と、仰いますと何処か悪いところでも?」 「司、お前まさかこんな物を作って何か取柄があると自惚れている訳じゃあるまいな。 この作品には、技術的にどうこう言う前に心が無い」 「心が無い?」 「そうだ。これを見ても儂には何一つとして感動が伝わって来ぬ。 目が見えようが見えまいが、どれだけ時間を掛けようが、出来不出来とは関係ない。 これは紛れも無い愚作だ」 「先生……」 「俺は目が見えなくともこれだけ凝った物が作れるのだ。 皆をアッと言わせて陶芸家として売り出したい。 お前の心の底には、そういう俗悪な見てくれの精神が、その癒しい野心が、 このケバケバしい金襴でにモロに現れとる。 恥ずかしげもなく、こんな物を持ってくるとは!」
正に一刀両断であった。 司の苦心の作は、無残なまでに失格の烙印を押された。 やっと完成させた作だけに、司の落胆もまた例えようもなく深いものとなった。
陶芸は、司の命だった。 それだけに何もかもを投げ打って来た。 その世界での光明が見出だせない司には、最早生きる気力は湧いて来なかった。 その晩、司は赤ん坊の大介に別れを言った後、林の中に足を運んだ。 そして、自分の首にナタの刃を当てた。 頸動脈を切れば、死ねる。 意を決して自分の首を切ろうとしたその瞬間、司の耳に薫の声が響いた。 「司、司、司……」 幻聴なのか?それとも、本当に薫が呼んでるのか? この一瞬の迷いが、司の生死を分けた。 誰かが物凄い力で腕にしがみついて、司からナタをもぎ取ってしまったのだ。 誰だ?今声が聞こえたということは…… 「お前、薫だろ?薫だな?薫、お前のためにも俺を死なせてくれ」 司は相手が誰なのか確かめようと、顔の辺りに手を伸ばしてみた。 すると、別の方角から聞き覚えのある声が飛んだ。 「お待ちよ、司。あんた何やってるのよ。 藪から棒に薫、薫って言うから、おばさん面食らってるじゃないの」 敬子の声だ。 それじゃ、今俺の自殺を食い止めたのは例のおばさんなのか? 混乱する司に、敬子はさっき自宅に届いていたと称して手紙を握らせた。 司は封を切って中身を確かめた。 点字で綴られたその文面は、紛れも無く薫からのものであった。
『司さん、暫くです。あなたとお別れして2ヶ月になります。 あなたは、今どうしていますか? あなたは、きっと陶芸一筋に打ち込んでいることでしょう。 私は2度とあなたに会うことが出来ませんが、 私の魂は片時も離れずあなたを見つめています。 司さん、苦しいこともあるでしょう。 でも、あなたは1人ではないのです。 あなたをこれ迄支えてくれた、どんなに多くの人が居ることか。 長谷川先生、千草さん、小百合さん、恵美子さん、高志さん、敬子さん、そしてダイちゃん。 その人たちのために、どんな事があっても挫けないで歩み続けて下さい。薫』
司は号泣していた。 そして、手紙を握り締めて震える声で誓った。 「おばさん、間違えて済まなかった。 薫……俺は挫けない」
司が帰って来なかったあの晩、薫は丁度やって来た敬子と共に司を捜した。 司を愛する女同士、一生懸命捜し回った。 そして司が見つかった時、薫と敬子との間には奇妙な絆が生まれていた。 司には、絶対に薫の正体を知られてはならない。 その思いが、敬子に咄嗟の機転を利かせていた。 敬子は、司を守るため薫の大芝居に付き合ったのだ。
翌日、薫は工房から帰る敬子を見送りに行った。 道すがら、薫と敬子は互いの蟠りが氷解してゆくのを感じていた。 「敬子さん、私を憎んでいた筈なのに」 「ああ、あれはあなたに教えて貰った御礼よ」 「私が何を?」 「人の愛し方よ。自分のことなど考えずに尽くすってことを。 私の負けね。でも、負けたのにいい気持ちよ」 そう言うと、敬子は薫が抱えていた赤ん坊の大介に話し掛けた。 「大介、これからもお母さんに可愛がって貰うのよ」 薫が驚くと、敬子は爽やかな笑顔を見せた。 「この子のお母さんはもうあなたよ。 薫、司さんをいつ迄も支えてあげてね」 「敬子さんも、元気でね」 「じゃ」 敬子は、薫に手を振って山を降りていった。 敬子の後ろ姿を見送りながら、薫は長い葛藤と対立の日々が終ったことを感じていた。
『そして、司の不屈の挑戦が再び始まった。 輝ける愛と栄光のその日を目指して』
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テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ
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